『あなたはさようならと確かに言った、私はそれに対して、ようこそと返した。』
冬の恩恵を預かってか、その日はとても寒く足早に歩き、いつものように車のエンジンをかけて、車を走らせた。
家から車が置いてある駐車場までは信号に引っかからなければ10分で着く。車はダイハツのアトレー。
親から譲りうけたもので古い割には故障もなくよく走ってくれる。そして、いつものようにラジオをつける。
お馴染のDJが今日の気候や政治のことを相手が見えない、誰かわからない、その他の人々に問いかけ続けている。
彼(DJ)はそんなことを気にもとめずにこの仕事をまっとうしているのだろう。
まだ、早朝だというのに自分好みの曲をかけてくれる彼(DJ)は何処か、親しみを感じる。今丁度、Sammy Davis JrのMR.BOJANGLESが流れている。要は、自分が知っていることはそんな彼(DJ)だということだ。
自分自身もその他の人々であって、たかが6千円だか、8千円(たまに1万円を越すときもある。これを私たちの間では、当たりと言う)をもらう為に、車を走らせている。
自分にとってのその他の人々の為に。
またはこうやって生きている数少ない理由があたかも今ここに、在るように感じることが出来るからだ。
次は、A.S.A.Pがカヴアーした卒業写真を選曲してきた。なかなか、いい選曲だなと私はいつものように批評家気どりで彼(DJ)と向き合う。
いや、向き合うように努めている。
私の父は昔話しをよくする。それは、だいたい私がまだ産まれてない頃の話しであり、私が物心のつかない頃の話しである。今のところ私には経験した事ない話しであり、いくらか着色はあるにしても(父は誰からも好かれる人物であったようだ)何れをとっても惹かれる話しばかりであった。
それは、全共闘の話しや労働組合、はては、マルクス、スターリン、シベリア抑留etc‥。それはまさに世界地図を広げたように話す。それはたいがい恥をさらすような話しかたなのだが、何処か誇らしげだった。
そんなことを、考えていると急に携帯電話が車内に鳴り響く。
[玉利さんの携帯電話でよろしいでしょうか?今日の現場は先方の都合で急遽キャンセルになりました]
現実に連れ戻し、すべてを台無しにしてくれるのが電話の着信音というわけだ。私は3月11日をそのように過ごして、今も生きながらえている。自分にとってのその他の人々の為に・・・。