2014/10/31

奥山八郎 : chapter one

誰しも、自分のルーツを知りたくなる時期がくる。。自分も東京とコロラド/デンバー(アメリカ)に住んでいた時期、色んな人種・国籍・各都道府県の人たちとコミュニケートしていくうちに、自分の存在意義・なんで、産まれてきたのかと?めんどくさいことを考える年齢だったので関心を持つようになり、父親に尋ねてみると、三人の興味深い存在を知ることになった。(この三人は、いずれ歴史の流れでつながることになる。)二人は母親方で、その一人が奥山八郎おじさんであった。反権力哲学貫徹の弁護士と言われ、(私の祖先は海賊だよ。という逸話話がある。)五一五事件、神兵隊事件、東大教授グループ事件の弁護をしている。自分の母親は徳之島の産まれで、当時、沖縄と同様まだ、アメリカの領地で貨幣もドルの時代。
誰もが知るとおり、日本は戦争に負け、米・英・仏・ソ(ソ連に関しは、納得いかない人も多いのでは?)を相手にかの有名な『東京裁判』が行われる。もちろん幕末然り戦争というのは、(解放運動はまた別のベクトルを含みますが、)百害あって一利なしで勝てば官軍負ければ賊軍。この一方的な裁判では、アメリカは民主主義という建前上。国際法に基づき、日本人の弁護団を採用します。(ただし、当時の日本がもし勝っていたら裁判すらしなかったと個人的には思います。国際連盟を脱退したのが、日本のそもそもの過ちである。)その数少ない日本人の弁護団の一人が、母親の祖先の奥山八郎おじさんだったのです。調べていくうちにわかったのですが、八郎おじさんが弁護したのは、東条英機の後に行われた、永野修身(裁判中に巣鴨プリズンにて病死)橋本欣五郎(通称:ハシキン。今でいう右翼活動家。先ほど、書いた3人がその後不思議な縁でつながる興味深いところである。)はA級戦犯だったのだが、なんとか終身刑に持ち込む。
その後、初代日本弁護士連合会の会長に就任し、谷崎潤一郎氏の相続の相談を受けています。後日母親に電話して聞くと、よく父親に連れられて当時、銀座にあった事務所に行った記憶があると言っていました。(家は大森)(当時、銀座にオリンピックというビルがあって(現 : ティファニー銀座本店)ビーフシチューを生まれて初めて食べ高カロリーなものがない時代だったので具合が悪くなった記憶があると言っていた。)歴史を知ることは我を知ること。自分自身もっと誇りを持って生きるべきだと。後の二人との不思議な接点は、次回、書きたいと思います。


オリンピックビル(現 : ティファニー銀座本店)